
なぜ、サラリーマンの仕事はつまらないのか?私自身もサラリーマンを7年半やりましたが、とにかく仕事がつまらない。
自分の個人的な性格もあるのかとも思いましたが、同僚や大学時代の友達などと話しても、みな自分と同じように、仕事にやりがいを見いだせずもがき苦しんでいます。
なぜ、これほどまでにサラリーマンの仕事はつまらないのでしょうか?
実はこの問いに対する一つの見解は、約150年前に刊行されたカール・マルクスの著作「資本論」の中で示されています。
「資本論」の中ではサラリーマン=労働者の仕事がここまで魅力を失ってしまった理由は、
資本主義の発展に伴う生産過程の「機械化」と「分業」が、労働者の知性を働かせる機会を奪い去ってしまったからである、と述べています。
大規模な「機械化」によって、生産過程の主役は機械となり、労働者は決まりきった作業を繰り返す自動人形のような歯車装置に変えられてしまいました。
また「分業」を行うことで、生産効率は確かに上がったものの、一人一人の労働者の作業は単純化、単調化され、労働者は考える必要性がなくなっていきました。
このようにして、「機械化」と「分業」は労働者の知性を働かせる機会を奪い去ってしまったのです。
では、なぜ知性を働かせる機会がないと、仕事はつまらないのか?これに関して経済学の父、アダムスミスは以下のように述べています。
「多くの人々の精神は、日常の作業の内で、知性を働かせることによって発展するものである。わずかな単純作業だけで一生を過ごす人は、人間として考えられる限りで最も愚鈍で無知な存在になる。生活は停滞し単調になり、精神の活気も自然に失われる。身体のエネルギーも破壊され、教え込まれている細かな作業の他に、自分の力を活発に持続して行使することができなくなる。」
つまり、人間というのは日常の中で、知性を働かせることで、新たな発見をしたり、達成感を得たりすることで、精神的な豊かさを実現していく生き物であるということを述べています。
資本論では、主に工場で働く肉体労働者を念頭に議論が展開されていますが、これは現代の先進諸国に多い知的労働者に対しても当てはまります。
知的労働というと、いかにも知性を働かせる機会が多そうだと思うかもしれませんが、全然そんなことはありません。
私自身は、サラリーマン時代総合商社勤めで、発展途上国のインフラ投資の仕事をしていましたが、一つの事業案件において多くの企業が協業するため、複数の企業間で分業が行われ、社内の中でも意思決定と実務という軸で分業が行われ、実務部隊の中でも複数人で作業を分担していくのです。
ここまで分業が行われた結果、一つ一つの仕事も、知性を働かせるような局面というのはほとんどなく、その多くはやり方さえ覚えてしまえばあとは頭を使わない「作業」になり下がってしまうのです。(もちろん知性を働かせる局面が多い仕事をしている人もいます)
更に、知的労働にも「機械化」の流れが来ているのです。AIです。
AIの登場により、今後どんどん知的労働のAI化が進み、AIが主役となり、人間がAIのサポート役となる日が来るかもしれません。
そうなると、生産効率はますます上がる一方、人間の行う仕事はますますつまらなくなります。
このように知的労働においても、「分業」は既に行われており、今後AIによる「機械化」の波も押し寄せると、人間の行う仕事が単純化し、その結果知性を働かせる機会がなくなり、仕事がますますつまらなくなっていきます。
では、つまらない仕事から抜け出すためにはどうすればいいのでしょうか?それは、生産効率が悪くても、自分自身でモノやサービスを作り上げる過程を一気通貫でやってみるということだと思います。
自営する農民や職人は、たとえ小規模でも、固有の知識と洞察と意志とを備えていたものです。
未開の民族も、戦いのための全ての技能を、個人的な策略として活用していたものです。
これは、なにも「起業」や「独立」などという大それたことをやる必要はありません。
例えばベランダで野菜を育ててみるとか、料理を作ってみるとか、プラモデルを作ってみる、等、そういう小さなことでも1から作ってみるということを積み上げていくことが、精神的な豊かさにつながっていくのではと考えます。
以上
りろんかぶお
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