
今年(2019年)8月に前職の最終日(有給含めた退職日は9月末)を迎え、セミリタイア生活からおよそ4か月が経ちます。
今の生活にもある程度慣れてきたので、セミリタイアしてみて実際どうなのかということを自分の中で整理する意味でも記録しておきたいと思います。
1. セミリタイアをしてみて良かったこと2. セミリタイアの負の側面3. 幸福を突き詰めた仏教1 セミリタイアをしてみて良かったこと・経済的に自由になったことで無理にお金を稼ぐ必要がないので、自分の好きなことに無理なく集中できるのがやはり最大のメリットだと感じます。
・例えば自分は、経済や歴史にすごく興味があるので、1日の中でそれ関連の本や新聞を読む時間を多く取っていますし、ランニングをしながらあれこれ考えることが好きなので今では毎日小1時間ランニングしていますし、麻雀も大好きなのでこれは家庭の事情もあって2週間に1度やっています。
・読書やランニング、麻雀は直接的に収入に結びつかないのですが、興味があるから本を読む、好きだからランニング・麻雀をする、というただそれだけでいいという、こういった状況はとても心地よく感じます。
・あとは、心に余裕ができた気がします。
・セミリタイア前はなんだか生き急いでいた気がするのです。周りのみんなに負けないようにもっと勉強しなきゃ、成長しなきゃ、大きなことをするために頑張らなきゃ、と自分がどこへ行こうとしているかもボヤっとしている中、なぜか脅迫観念のようにこのような感情が常にあったような気がします。
・それもあって、セミリタイア前は暇が大嫌いで何かしていないと不安でした。自分は子供がいるのですが、正直、子供と遊んでいる時間って、自分自身にとってはそんなに有意義なことをできている気がしないので、以前はこの時間にもっと自分にとってためになることをしたいなーとか考えてました。周りの大人(特にパパ)もみんなそうです。公園に行くと、子供を遊ばせながら自分はずっとスマホいじっている親(特にパパ)がほんとに多いです。
・でもセミリタイア後は、この「常に何かに頑張ってなきゃ不安」というのがなくなってきたような気がします。自分自身が一生懸命頑張らなくても配当は振り込まれてくるし、逆に自分が必死に頑張ったところで必ずしも収入が上がるものでもない。但し、正しい投資をしていれば収入は時間と共に増えていく。資本を通じて世の中に貢献する、という自分なりの軸も定まった今、他のことをむやみやたらに頑張る必要もない。だったら、お金を稼ぐのは資産に任せて、自分はもう少し今に目を向けようと。
・そう考えることで、子供と遊ぶ時間も、その時間を楽しもうと思えるようになってきて、純粋に子供の笑っている顔を見るのが幸せに思えるようになってきました。
2 セミリタイアの負の側面・こう書くと、なんだかいいことばかりのように思えるかもしれませんが、セミリタイアによる負の側面も感じています。
・それは何かというと、ずばり「なんか物足りない」のです。
・セミリタイアに至るまでに、色々人生について考えましたが、その時の一つの結論として、「好きなことに熱中する人生を歩もう」というのがありました。
・今までの人生は、部活の大会で優勝したいとか、立派な高校や大学に入学したいとか、立派な企業に就職したいといった思いがあって、それを目標として頑張ってきた人生だった気がします。実際、目標を達成できたりできなかったりでしたが、達成できた時も、その喜びというのは長続きせず、常になんだかモヤモヤしている自分がいました。
・そういう経験を通して思ったことは、何か目標を設定してそれをクリアするということでは、心を満たすことはできないのではないか、ということです。それだったら、自分が今この瞬間を楽しめる好きなことをやろう、と思ったわけです。
・その好きなことの一つとして、投資を選んだわけですが、今までの自分だったら、目標の資産額を設定したり、市場平均に打ち勝つという目標を設定していたのだと思います。ただ、上述のような経緯もあったので、自分としては必要最低限の収入があればよくて、自分の楽しいという感情を大事にしながら、世の中に貢献できるような投資をしようと思っています。
・ただ、好きなことを好きな時にしているだけなので、なにか自分の人生を目いっぱい生きている感じがせず、なんか物足りないのです。
・今の生活では、嫌なことはないし、嫌なことはしなければいいのです。ただ、人間が幸福を感じるのって実は感情が幸福に向かって上昇した時だけなんじゃないかと思うのです。
・例えば感情を10段階評価した時(高いほど幸せ)、常に7を維持するような生活では感情が一定の為幸福は得られず、逆に、いったん-5迄下がってまた0まで戻ってくるような生活だと、0から-5まで下がる時に苦しいものの、-5から0に上昇するときに幸せを得られるのではないか?
・つまり7を維持する人生よりかは、極端な話、マイナス圏内だとしても感情に起伏がある方が充実した人生になるのではないか、目標達成による充実感が長続きしないのはわかっているものの、だからといって目標設定せずに好きなことだけやって感情の起伏がない生活よりかは、目標に向かって四苦八苦している人生の方がまだましなのではないか、と。
・こんな感じで、また幸福の迷路に迷い始めました。
・そういう意味では、会社員時代は、上司に新しい仕事を振られたり、不定期での部署異動などがあったりするので、強制的かつ定期的に新しいことにチャレンジさせられて、人間が陥りやすい悩みから救ってくれているのではないか、実はその方が余計なことで悩む必要もなく幸せだった?とも考えたりします。
3 幸福を突き詰めた仏教・最近遅ればせながら、世界的ベストセラーのサピエンス全史を読んだのですが、そこで仏教のルーツが紹介されていました。仏教って日本にはなじみの深い宗教のはずですが、自分自身この宗教について全く何も知らなかったというのを思い知らされたと同時に、ものすごい興味深いルーツがあるんだなと感じました。
・宗教というと、キリスト教やイスラム教等、万物を創った神様がいて、その神様の教えを大事にしていくというのが普通のイメージだと思うのですが、仏教は神様とかではなく、「幸福とは何か?」というのを突き詰めた宗教といえます。
・紀元前5世紀、仏教の始祖であるゴータマシッダールタは、たいていの人は幸福を求め、これを追求するが、いざそれを達成してみても、幸福という感情はつかの間のもので、時間がたてば普通の状態に戻ってしまい、幸福を求めるためにまた別のことを追求しだすと説きました。
・幸福というのはつかの間の感情なので、これを追い求める限り決して心は満たされない。なので、このむなしい幸福追求のループから解放されるためには、幸福を割愛することをやめて、あるがままに現実に向き合うことが重要で、その時に初めて苦しみから解放されるというのです。そして、幸福への割愛を捨て去るためには、心を鍛えることが必要で、その具体的な訓練方法が禅なのです。
・2500年前のゴータマシッダールタの考えは、現代の生物学でもほぼ同じ見解が得られています。生物学的に言うと、人間が幸福を感じる要因は快感を得る時で、快感をえる要因は、単純に、血流内における快感を得るためのホルモン濃度などで決まるというのです。ただ、このホルモン分泌は一時的なもので、永続せず、次第に薄まって、血流内の濃度はまた通常に戻るのだそうです。つまり、仏教の教えと同じく、幸福というのはつかの間の感情であり、時間がたつと必ずまた普通の状態に戻ってしまうというのが生物学的にも正しそうだということがわかっております。
・自分としては、仏教の教えがとっても腑に落ちた一方、人間が持つ、誰かを助けたい、誰かに喜んでもらいたい、といった感情も捨てることが良しとしているように見えて果たしてそれもどうなんだろうと思ったりもします。(仏教の神髄を理解できてないと思うので自分自身もっと勉強する必要ありですが。)
・ほんとに全ての欲求を捨て去って、ただただ自分自身に目を向け現実をあるがままに経験するような人生って、ほんとに満たされるんだろうか。自分が満たされても、ほんとにそれだけでいいんだろうか(人生に意味を持たせる必要もないのかもですが)、と思ったりもします。
・ただ、富とか肩書とか外部の要因で決まる幸福を追い求めるのはまるで無意味というのは非常に共感できますし、とりあえず禅をやってみようかなと思っている今日この頃です。
・悩みは尽きないのですが、人生そんなもんなんだなと思って、色々やってみます。
以上
りろんかぶお
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