会社員生活に終止符を打ってからちょうど1年半ほどたちます。
今の心境は、
とにかく退屈。笑
なぜ退屈なのか?
今日はその原因と対策について考えていきます。
原因①:毎日刺激がない1年半も同じような生活をしていると、日々の生活の中で刺激がなくなりますね。
自分は一応、投資以外にもファンド運営や学校づくりなどもしていますし、家族(妻と子供2人)もいるので、人との関わりというのは多少はありますが、
毎日同じ部屋で、同じような時間に同じようなことをやり、昼飯もラーメン、カレー、パスタと固定化してきており、毎日同じ時間に同じコースでランニングし、というように日々やることがものすごくルーティン化しすぎてきていることが、自分の生活から刺激を奪っているように思います。
では刺激とは?
新しいことを学んだり、
新しいことを体験したり、
新しいモノを食べたり、
新しい人と会ったり、
とにかく新しい何かが足りないという状態だと思います。
これは会社をやめたから?
多少はそうかもしれないです。
会社にいれば、配属が変わったら強制的に新しい仕事をしなければいけないですし、新しい人たちと関わらなければいけないからです。
ただ、結局そのような状況が1年も続いてしまえば、結局退屈という波が押し寄せてくるのです。
実際に思い返してみれば、会社勤めの時もよく「退屈だなー」と感じていました。
自分は合理性を追求しすぎてしまう性分なので、生活の中から一切の無駄を排除して、なるべく習慣化し、ミニマリスト気質なところも手伝って自分の部屋にはモノがほとんど置かれていません。
つまり、刺激が少ない状態をうみやすい性格というのも大きいと思います。
退屈の原因②:やりたくてもできない環境基本的に平日の昼間は完全に自由に過ごせるので自分のやりたいことを100%できる環境にあります。
一方、自分には子供がいるので、夜子供が帰ってきたら子供の相手をしなければいけませんし(子供そっちのけでよく麻雀番組見てるのでこんなこと言ったら妻にキレられますが)、休日は子供を外に遊ばせに行かなきゃいけません。
未だ子供が小さいこともあってか、子供を外に連れて行った時の自分の主要な役目といえば、子供が危ないことをしないか「しっかりと見ておく」ことです。子供は勝手に遊具とかで遊んでいるので。
仮に自分もやることがあって脳がそのやることに集中している状態であれば退屈と感じることはないのですが、視覚以外の五感は完全に空いている状態で、だけど子供を見ておかなければいけないから何もすることができない、という状況が退屈を感じさせやすい状況を作り出しているのだと思います。
(もちろん子供はかわいい存在で、いてくれてよかったなと強く思いますが、状況を淡々と分析するとこういうことかと)
じゃあどうすればいいのか?ここまで原因が分析できれば対処法は簡単です。
・とにかく毎日の生活の中に新しい何かを盛り込むこと、
・子供が楽しむことだけでなく自分も一緒に楽しめることをやること
です。
二点目は子供がいる人限定なので、一点目について詳しく見ていきます。
退屈と感じる原因は刺激がないことです。
刺激がない原因は日々の生活に新しい何かが極端に足りていないからです。
であれば、日々の生活に新しい何かを盛り込めばそれが刺激となり退屈をやっつけられます。
では日々の生活で取り入れられる新しい何かとは?
・今まで食べたことのないモノを食べてみる
・今まで行ったことのないお店で外食してみる
・ランニングの時間を変え、コースを変える
・料理を作ってみる
・着ている服を変えてみる
・植物を育ててみる(今イチゴを育てています)
などなど、小さいことでも毎日ひとつは新しい何かを盛り込むことで、生活が豊かになると思います。
新しいことにチャレンジすると外れくじを引く回数が増えるでしょう。
例えば、いつもはおいしいとわかりきっているマルちゃんのラーメンを食べているが、今日は冒険してCMで話題の〇〇ラーメンを食べてみよう、となった時、たいていの場合はマルちゃんラーメンの方がおいしくて、外れくじ引いたわーとなるわけです。
が、それでいいのです。
いつもと違うことをすることでわくわく感を味わえたり、外れくじ引いたわーと落胆したりと感情に起伏が出てくるので、これは結果的に日々の生活に充実感を与えます。
自分みたいに過剰に合理性を追求するような人間は世の中に一定数いると思うのですが、そういう人は常に忙しくしていないとすぐに退屈の波が押し寄せてきやすいです。
なぜなら合理性を追求するが故に、無駄が一切排除される一方で、日々の生活が無味乾燥なものとなりやすいからです。
意外と人生を豊かなものにするのは、”非”合理的なものの中にあります。
例えば、外食や弁当、冷凍食品がこれだけ安く手に入れられる中、料理なんてものすごく非合理的な行為だと思います。
料理をするということは、作るものを考え、買い物をし、料理をして、お更に盛り付け、食べた後は食器洗いをするという、膨大な作業を要するからです。
外食や弁当を買えば膨大な無駄な時間が削減されます。
但し、自分で何かを作るという体験はわくわく感を与えますし、退屈な日々を送っている人にとって、毎日新しい何かを作ってみるというのは最も効果的な退屈撃退法の一つでしょう。
合理性を追求しすぎるのも弊害があるということは胸に刻みたいと思います。
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