
日本の資本主義はどのように始まったのか?
前回までに、資本主義には以下三つの基本要件が必要であると述べました。
日本の資本主義はどのように始まったのか?①①私有財産権
②貨幣経済
③機械
そして前回、前々回で①私有財産権の歴史、②貨幣経済の歴史を見ていきました。
日本の資本主義はどのように始まったのか?②日本の資本主義はどのように始まったのか?③今回は③機械化の歴史についてみていきたいと思います。
③機械化の歴史日本の機械化はどのようにして起こったのか?
日本では明治時代に急速に機械化が進みました。
幕末の開国以降、明治政府が最も恐れたのは列強による日本の植民地化です。
これを何としても回避するためには、列強並みの国力をつけ、列強と対等な軍事力を持たなければなりません。
そのために、明治初期に掲げられた政策が殖産興業。
殖産興業とは、機械制工業、鉄道網整備、資本主義育成により国家の近代化を推進した諸政策を指します。
例えば、1868年に明治時代が幕を開けてすぐ、1872年には早速日本初の鉄道が東京ー横浜間で開通してます。
江戸の侍文化の国がたった数年でなぜ鉄道が?と疑問に思うかもしれません。
但し、この鉄道は完全に英国におんぶに抱っこで作られたものです。
資金は英国に借金をし、工事の指導も英国人、車両も英国製、といった具合です。
但し、明治中期には全国的に鉄道網が敷かれ、道路網も含めたこのようなインフラ整備が経済成長の基盤となったといえます。
鉄道に象徴されるように、日本国内産業の機械化は、基本的に外国の機械を大量輸入する形で推進されていきました。
世界的に見ると、明治時代というのは、イギリスで起こった産業革命から既に100年が経過しており、先進諸国では既にあらゆる生産工程が機械化されていたので、日本はそのような先進的な機械を輸入するだけでよかったのです。
逆に言えば日本は、機械化していく世界に取り残された、いわば浦島太郎状態だったのです。
そして明治日本は、あらゆるプライドを捨て、欧米諸国を真似てまねてマネまくったことで、急速な近代化を達成でき、明治時代開幕からわずか26年後の1894年に大国の清と戦争をはじめ勝利を納めることができ、1904年には超大国のロシアを相手に戦争をはじめ最終的に勝利を納めるまで至ったのです。
こういった近代化の過程というのは、第二次世界大戦後に米国を真似て高度経済成長を遂げた時代とかぶりますね。
よく日本人は「真似ることが得意」といわれますが、明治の近代化や高度経済成長を改めて振り返ってみると、その真意がよくわかります。
但し、ここで一つの疑問が浮かび上がります。
輸入するためには大量のお金が必要だが、明治日本はどのようにしてそのお金を稼いでいたのか?
当時の貿易に使われていた通貨は、金や銀だったので、どのようにしてこのような外貨を稼ぐかが重要でした。
最も代表的な例は、国を挙げた製糸業、紡績業のテコ入れです。
製糸とは、蚕から絹織物の原材料となる生糸を作る工程のことです。
紡績とは、綿や羊毛などの短繊維を長い糸にする工程のことです。
つまりどちらも衣服などに必要な「糸」を作ることです。
全く儲からなそうなビジネスですが、なんと明治時代の輸出の稼ぎ頭はほとんどの時期において生糸だったのです。

製糸業で特に有名なのが、世界遺産となっている群馬県の富岡製糸場です。
1872年に創設されたこの製糸工場には、フランスから輸入された300台の最新式製糸機械が設置され、フランス人ポール・ブリューナと4人のフランス人女工らが技術者として招かれました。
この工場で製糸訓練をうけた日本の女工たちは、各地の製糸工場で後輩たちの技術指導に当たったのです。
また紡績業においても、民間の大阪紡績会社は、最新の英国製のミュール紡績機をたくさん導入し、蒸気機関によって機械を動かす大規模な機械性生産を展開しました。
従業員は昼夜2交代制で、24時間紡績機を動かした結果、毎日大量の綿糸を生産すること成功したのです。
更に、労働者としては農民の子女を低賃金で雇い長時間労働させたことで、極めて安価な生糸や綿糸が生産されたのです。
最新の機械は欧米諸国も当然使っているので、日本で生産した生糸が世界的に競争力があったのは、こうした安い労働力(労働に対して割安な賃金しか払われていない)が源泉だったのです。
そして、国営だった富岡製糸場等の成功を見て、多くの民間の製糸会社や紡績会社がつくられ、結果、綿糸や生糸の大量生産・大量輸出が始まったのです。
このように、生糸や綿糸等で外貨を稼ぎ、その外貨で更に外国から最新の機械を購入し、主に軽工業を中心に日本での機械化が急速に進んでいったのです。
STOP
ここまで、日本の資本主義の成り立ちを、①私有財産権、②貨幣経済、③機械化、の三つのポイントで見てきました。
①私有財産については、最初期は平安時代に既にそのような制度があったことに驚きつつも、紆余曲折があり、本格的に根付いたのは明治時代。
②貨幣経済については、江戸時代にはおおよその基盤はできていた。
③機械化に関しては、江戸時代の鎖国を終え、明治時代に大量に欧米の機械を輸入し、主に製糸業、紡績業等で大規模な機械化と安い労働力を武器に生糸や綿糸等を大量に輸出し、稼いだ外貨で更に最新機械を輸入するという流れができました。
そして、国営の富岡製糸場等が大成功しているのをみて、民間企業も我先にと製糸業や紡績業を開業していったこと、つまり利益を獲得するために皆が競争して生産活動が盛り上がっていくという、資本主義がそこに誕生したといえるでしょう。
以上
りろんかぶお
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